2003年第七節観戦記
今回は多忙の為、カードを限定します。
立命館 VS KG
最終節は全く予想が外れた。王国としてはまさしく「完敗」である。
KG攻撃
戦力的に大きな差がある以上、勝負できるポイントは極めて限られる。従って「出せるプレー」は限られるし、その
中で組めるシーケンスも限界がある。にも関わらず、なんとか時間消費をしなければならない。なんとかダウンを更
新しなければならない。しかも一度や二度のロングドライブでは全く足りない。極めて投機的な攻撃を考えざるを得
ないが、その中で可能な限り精度を高める工夫が必要となる。
守備のアジャストを遅らせる必要がある
=>ノーハドル。しかも出来るだけ続ける。シリーズ毎に少しずつポイントをずらし相手守備がアジャストした頃に
は別のシーケンスを登場させる。相手の先手をとって仕掛けつづけるのだ。
プレーが崩れた場合でもロスを最低限にする
=>走力の高いQBの投入。シンプルなプレー。「投げられなければ走る」の徹底。
劣勢が明白なライン戦
=>ブロッカを10人使ったランプレーが可能なSGを多用する。
もちろんディレイドオフェンスやこれに加えてギャンブル用、ゴール前用の各スペシャルプレーの準備。
具体的に当たったのはパスラッシュ&マンカバーのプレッシャー守備に対抗すべく、ロールオプションの類のプレー
を準備するであろう事。パスにおいては今季ここまで封印したともいえるスラントやアウト系のアンダーニースへの
パスを投げるであろう事。この程度だ。
懸念されたパスプロも立命守備のラッシュパタンを把握した上であろうか、上手くピックアップしてみせた。パスは
スローバックが基本。ランではリバースも見せた。逆を突く攻撃は対立命戦では基本中の基本。さらにホットパスも
準備。しかしQBドローがあそこまで出るとは思わなかった。
QBのスピードをフルに生かすコールも注目だ。2本目のTDは一旦オフタックル・オープンにブロッカを伴い飛び
込み、デイフェンダが寄ったところで一気に外へのスピードで勝負し振り切った。3本目のTDプレーもモーション
したFL#18のスピードスイープをフェイクしたカウンターのオープンプレー。その一つ前のプレーもタイトなセ
ットバック体型から一気に外へロールし加速してLOSを突破するプレーだ。
前段で「ロール系のプレー」と紹介したのはトリプルセットしたWRをタテに走らせ、空いたゾーンに一旦逆にステ
ップを踏んだQBが飛び込むプレー。一発でダウン更新した。
*これは99年の対立命戦で見せた有馬−三井のロールオプションと全く同じコンセプトだ。QBが早い分、そし
てラインが劣勢な分、今回はキーププレーとしたのだろう。
また各シリーズの重要なポイントで一発を狙うプレーを繰り出しているのも印象的だった。この部分は2002年の
ライスボウルでの攻撃姿勢に似ている。成功すれば得点が期待できる。チャンスがあればドンドン行く。少なくとも
1回はダウン更新するぞ、という積極性だ。ロングゲインを狙うスクリーンは完封されてるがQBドローが予想以上
に出た分助かっている。
さてこれらで先制パンチを浴びせた結果、一時的に立命守備に混乱を起こさせるのに成功した。特にDBのセットの
遅れが続き、タイムアウトの取得で防ぐシーンもあったぐらいだ。戦前懸念された立命DBの連携を突くべく投じた
深めのパスが2シリーズ続けてヒットした。このインパクトは大きかったろう。
体型よりも人数重視のアライメントとDD博士が戦前評したが、これを突いたかウイークサイドはレシーバとCBが
一対一になるケースが多く、SFの対応が遅れて(下がりきれない、もしくは上がりきれない)結果、パス成功にな
っている。前半3TDは満点。これがMAXだ。あと1FG足せれば出来杉君である。
一方の立命守備の対応は確実だった。また後半はフィールドポジションの悪化もあいまって積極性を欠いたKG攻撃
は段々ドライブできなくなる。特に中央、左サイドからのパスラッシュは手がつけられなくなった。5ヤード近いゲ
インを得るべくタイミングの早いスラントを要所で決めたかったKGだが、これが持たない。これはKGにとって大
きな誤算となった。こうなると守備はQBのランに絞れる。DLが押している分、十分持ちこたえられるようになる
のだ。それでも3Qまでは連続ダウン更新する力は残っていた。願わくば後半もう1回、もしくは2回、ダウン更新
したかったところだ。
KG守備
KG守備フロントは奮戦した。大黒柱化した#92はLB投入もあり。また復調した#52の出来は秀逸だった。ま
たルーキーLB#67はファンブルフォース。スカウトリーダであった#99もパントブロック。それぞれ持ち味を
発揮した。1年生CB#80には立命#19,#84とのマッチアップは酷だった。タイミングの早いパスにはキャ
ッチ後のWRのターンについて行けず。正面から迎え撃てばパワー差からまともにタックルに行けずで終始苦戦した。
ただしスピードをかわれてディープを防げば良しと考えての投入だったと思われる。一発を防ぐラバーバンド守備と
しては1インターセプト、1ファンブルフォース、1パントブロックは上出来だろう。
一方の立命攻撃は大きな変化は無かった。実際大きく変える必要は無かった。
ランプレーに限界が出始めた立命はタイミングの早いパスでラッシュを無効化し積極的なQBキープでドライブを続
行。この切替は攻撃ラインが圧迫された際の典型であるが、レシーバとのコンビネーションとQBの能力の高さで実
現している。通常では一気にドライブ力が落ちる。しかしペースはダウンし、プレー数は増えたもののダウン更新は
続行できた。並のチームではこれは実現できない。
この試合、立命攻撃の反則が多かったが、課題をあげるとしたらこの部分か。京大戦、神戸戦でも同様だった。ゲイ
ンはする。ダウンも更新する。だが反則で削られる。この繰り返しである。要は守備に圧迫されると反則してしまう
典型だ。OL陣は昨年に比較して総じて習熟度の低さが課題ではあった。パワーやスピードで割られると掴んでしま
いホールディング。ダウンフィールドブロック時は習熟度の低さでイリガルブロックとなって現れたという事だ。
しかしKGの奇襲、気迫がクローズアップされがちだが、リードにも揺るがず自らの力で流れを取り戻したの立命攻
撃は素晴らしい。途中、ややQBが慌てるシーンがあったがすぐ持ち直した。特に前半最後のドライブ。タイミング
の早いパスで短時間で長い距離をドライブしてみせた。自力で攻撃の否ゲームのペースを取り戻す姿勢が顕著にみら
れた。スペシャルな取り組みとしてメリーランドIが上げられる。完成度はもう一歩だが、いきなりのカウンター。
捨てプレーでもあるFBギブ。TBのスイープパスなど面白い。また興味を引いたのは試合最後のドライブだ。#1
1のインサイドヘの飛び込みなどの一連のプレーに立命攻撃の準備とバリエーションの豊富さを垣間見た気がした。
おそらく本当に危機に陥った際に繰り出すプレーだったのではないか。もう少し色々見たかったが時間と勝負の兼ね
合いからそれは不要なものとなった。立命がSGに取り組み始めた頃、タイミングの向上とプレーバリエーションの
拡大が無ければ厳しいと感じた。ここにきてそれは完成したと言える。
余談だが.....
KG攻撃対立命守備では2DLが登場しKG守備対立命攻撃では全てのDBがディスガイズを連発した。変な比喩だ
が、全くもって「フットボールの試合とは思えない絵」だった。しかし選手たちはあたかも、「これが当然」と言わ
んばかりに平然とプレーをし、ボールを前進させ、また食い止めた。完全に別の種類のスポーツに見えたのだ。
あたかも新時代のフットボールであるかに感じた。この時点で関西学生リーグが日本の最先端、最高峰のリーグであ
るという認識を新たにした。
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今年のKGについて考えていることを書いてみる。
頑張れば頑張るほど宿敵京大が、自らが敗れた相手が、自分達の目指した「優勝」に近づいてしまう皮肉。
自分達は、仮に大差で勝利しても優勝できない立場にいる。同時に逆に大敗したとしても自らの立場は変わらない状
態でもある。従って本来なら歓喜の嵐となるだろう勝利の瞬間が仮に訪れたとしても、心底喜ぶことは出来ない。
これは闘う前からすでに決まっている事だった。
それ以前に勝利そのものの可能性を考えた時、絶望的になるであろう力量差がそこに存在していた。そもそも今季は
ベテランが多く抜けており再建の年なのである。それに加えて一向に成長に手ごたえが感じられないもどかしさ、新
システムへの戸惑い、そして大黒柱の急逝。おそらく今季は選手の間にもゲームに対する温度差が明確にあったろう。
それらの諸々の事柄を全て受け止めた上で、否、自らが飲み込んだ上で、どこまで闘うことが出来るのか。
どこまで勝利に対して、ゲームに対して、フットボールに対して、「自由」でいられるのか。
こういった「厳しい状況下での立命戦の勝利」とは、今季のKGが越えなければならない壁をより具体的な形にした、
いわば「課題」として最も適していたといえるだろう。
これまでも数多く強豪と対戦してきたが、対決の背景にこれほど重いものが圧し掛かっていたゲームは過去無いので
はないか。
勝利は出来なかった。しかし課題に対しては「合格」だったといえるのではないかと思う。
立派だった。素晴らしかった。これがKGだと自慢できるゲームだった。
ただし、だからこそ言わせてもらう。優勝できなかったのはやはり「甘え」があったからではないのだろうか。
最後に平郡選手の事に触れたい。
1年生時はDBで試合に出ていた。独特のボール感を発揮し活躍するものの、目立ちはしないがミスもあった。
ある試合の後、スタンドで高校の大先輩と会話している様子を見た。「お前、アソコでミスったやろ」との先輩の指
摘に、笑顔で答えていた。イイ奴だ、と素直に思った。変にスレていない純粋な奴に見えた。
2002年正月のライスボウル。オープンに走る中村多聞を全くムダの無いパスートで流れるように接近し、一発で
ひっくり返したシーンが印象に残る。TVで大写しになる映像にはヘルメットの下の表情がみえる事がある。
思い出す彼の顔は、殆どが笑顔だったように思える。
あらためて故人の冥福を祈りたい。
練習再開から今季最後の試合まで様々な葛藤があったであろう事は容易に想像がつく。そしてチームが最後に掴んだ
であろう答えは...
平郡の為に闘うのではない。あくまで自分の為に闘うのだ。
そうであったと思いたい。夏は書けなかった。秋になってもダメだった。そして今しか書ける時期が無い。だから誤
解を恐れず書かせてもらう。それは
自分の為に闘う。それは非難されるべき事だろうか。
という事だ。
仮に今年、彼を想い、それを支えに頑張ったとする。そして勝利したとする。
来年はどうなのか。今年は彼を想う事が自らを奮い立たせる事に作用したから勝利したのだ。
で、来年はどうなのか。今度は何が自らを奮い立たせて「くれる」のか。
何かを待つのか?今度は何を「待つ」のか。しかし何もやってこないだろう。誰も何も運んできてはくれない。
確かに彼を想う事は大切だ。しかし想うがあまり「彼を想うという行為」に頼りすぎる事もあるだろう。
果たして彼はそれを喜ぶだろうか。
このチームの明日、そしてチームメートの将来を考えたとき、彼は何を願うだろう。
自分自身の為に闘う。フットボールとはそうでなくてはならないのではないか。
無理矢理やらされるものではない。脅迫されてやるものではない。
嫌々やるものではない。プロでない以上、お金の為にやるのでもない。誰かの為にやるものではない。
自らが自らの意思でやるものだ。もちろん自分以外の人間、環境、など全ての背景からうける影響とは一切関係な
く、である。
自由とは自発であって強制ではない。自由とは自律であって他律ではない。諸々のしがらみに縛られていては、ど
こかで限界がくる。それは「しがらみを理由にして」逃げてしまうからだ。困難に立ち向かい勝利するには、人は
自由でなくてはならない。そして自由であるがゆえにその責任も重く、当然辛く厳しい道のりとなる。しかしだか
らこそ貴い行為とされるのだ。
最初は彼に促され立ち上がったのかもしれない。
そのうちに彼に後押しをされて走り出した。
途中から彼を追いかけるべくスピードを上げはじめた。
そしてゴールした時、彼の姿は無かった。
今年はそんな年だったと思っている。
彼の魂がチームにおいて永遠に不死であらんことを切に祈る。
以上