「鎧球バカ一代」
〜大王の異常な愛情〜
あるいは 私は如何にして心配するのをやめ・鎧球を・愛するようになったか
接触編
1.初観戦
記憶の限りではありませんが、2歳か3歳の時に駒沢に連れて行かれた事があるようです。
大公様がスタンドで写した写真は残っています。微かな記憶では兄貴とお菓子のおまけ(同
じものだったと思うのですが)を取り合いして泣いていたような気がします。
この日は大公様が家族全員引っ張り出して連れてきました。当然皇后様はルールもわからず
、兄貴、大王に至っては何がなんだか訳も分からずスタンドに座っていました。せっかく生
で試合を見られる(しかも大公様によるとアメリカチームと日本の試合だったらしいが、こ
れも記憶の限りではない)チャンスだったのに、子供は泣くは、奥さんは退屈そうだわ、今
から考えると、気の毒な話である。
それからしばらくは大公様が正月にTVでカレッジの試合を見ていたのが記憶にある程度。
何やら止まったり、動いたりする変なスポーツだ。という認識しかない。もちろん小学校に
もあがらない頃だから当然ですな。
ただし当時大公様は単独で試合を見に行っていたようです。大公様の趣味(?)のスクラッ
プブックを見ると第二回ライスボウルのメンバー表があったりしてね。
(注)大公様は大変マメで遊びに行った遊園地や博物館、見に行ったスポーツの半券、果
てはレストランの箸の袋まで大切に保管しスクラップブックにまとめています(現
在も継続中)。
2.西宮時代
さて大公様の転勤に伴い、大王家も川崎を離れ引越しです。引越し先はなんと西宮。これで
大公様の血が騒がない訳がありません。
大王が小学2年生の時です。12月のある日曜日。
大王はヒマなので朝から部屋でゴロゴロしていました。すると階下から呼ぶ声が。
后 「いい所に連れてっちゃるそうやで」
退屈していたので同行する事にする。
(注)兄貴は病気で寝込んでいたので参加しなかった。皇后様は赤ちゃん(大王の妹です
な)の世話が大変で留守番です。
王 「どこ行くのん」
公 「秘密や」
(注)大公様の「秘密や」はその後、現在に至るまで続いている。一昨年も皇后様を無理
矢理車にのせ
后「どこ行くそかね」
公「秘密や」
后「秘密じゃ分からんわあね」
公「ふふん」
という会話を4〜5回繰り返しながら広島まで京大VS山口大の試合を見に行って
いる。高速使って2時間以上かかるのに。
大公様のいでたちをを見るに完全防寒装備プラス毛布(現物支給されたものか社販で買った
ものかは不明)。大王も何やらジャンパーなどを着せられる。てくてく歩いて国道2号線へ
向かう。郵便局のところで今度は2号線を武庫川に向けて歩く。大王が毎日のように通って
いる耳鼻科、眼科コースだ。ペット屋(当時なぜか大王家では熱帯魚を飼っていたがここで
購入した)の前で路面電車にのる。
(注)当時路面電車が南北に走っており、2号線から海まで行くことが出来た。ちなみ
にこのペット屋は今でも存在している。なお毛布を持参するのは大公様のスタイ
ルである。「ウインタースポーツは、毛布や」「ええ格好せんでええ。これでえ
えんや。」これは今も続いている。
王 「これ遠足で海まで行ったときに乗ったで」
公 「そうか」
王 「どこ行くのん」
公 「甲子園や」
王 「甲子園?」
甲子園というと春の選抜の開会式に行ったことが有ったなあ。第一試合に山口県代表が出る
ので連れて行かれたぞ。お土産に仙崎のかまぼこをもらって帰ったような...。
王 「野球?」
公 「ふふん。アメリカンフットボールや」
王 「???」
(注)大体,大王は(今でもそうだが)運動神経がかなり鈍い人である。当然野球なん
か下手。ゆえに興味が無い。よって、12月でもプロ野球をやってるものだと思
っていた。それでも甲子園は阪神、西宮は阪急の球場という認識は持っていた。
でもその程度。
などと大公様と話をしている間に甲子園球場前に到着。
球場の中に入る。暗い。汚い。なんで植物に覆われているんだろう。しかも枯れている。第
一寒い。階段を上ってドンドン上へ行く。しんどい。小学2年生には、かなりキツかった。
(注)大王は当時ぜんそく持ちでした。
ようやくスタンドにでる。甲子園のレフト側外野席だ。試合は始まっていた。おそらく第2
Q途中でしょう。何やら観客が入っているが、外野の中段まで。上の方はガラガラだった。
中段の端っこに座る。寒い。しょうがないので毛布を頭からかぶる。しばし観戦。しかし当
然分からん。しかも風が吹いて寒い。二人が座った所から上段には誰も座っていない。
大公様はしばらく静かに観戦。時折
「う〜ん」
「あああ!いけんわあや」[(注)「(それは)イカンぞ」の意]
「駄目じゃのう」
などと言っている。どうやら応援している方が不利な様子。ハーフタイムになる。見るに見
かねて大公様がうどんを購入に走る。ハーフタイムショーは上甲子園中学校ブラスバンドの
演奏だった。チューバの口を塞ぐように紙が貼ってあり「上」「甲」「中」と書いてあった
から理解できました。
「中学校はあそこに行くんだろうなあ」
などと思ってた所にうどん到着。これが(今度は)熱いのなんの。
王 「熱い」
公 「さまして食やあええわ」
発泡スチロールのふたにうどんを載せてさまして食う。近くにいた大学生のカップルに笑わ
れる。端から見ると毛布がうどんを食っているように見えるのだからやむを得ない。
そうこうしているうちに後半開始。依然として大公様の応援チームは不利の様子。
(注)当然KGでした。相手は当然日大。
だんだん、フラストの溜まる大公様。
「いけん。もう、はあ、帰ろう」
「駄目じゃ、ボロ負けじゃ」
「もう帰るでぃよ」
と連呼しつつ撤収する。正直寒かったので助かった。というより大王があんまり寒そうなの
で早めに帰ろうと思ったのかもしれない。今から考えると大変気の毒である。大王は試合の
展開も何も全く覚えていない。ただただ寒かったという記憶だけである。
(注)いまだに甲子園BOWLの話題になると大公様は「見に行った〜や」(見に行っ
たではないか の意)と自慢気に言う。
その後観戦の機会はなかった。しかし、近年、大公様のスクラップブックを見た所、七夕ボ
ウル(7月7日にやってたらしい)の半券やヘイズ(ダラスカウボーイズ)の写真入りの半
券、サイドワインダーズVSバンガーズの半券などが大量に発見された。どうやら大公様は
(またしても)家族に内緒で西宮球技場に通っていたようだ。
3.大阪時代
さてその後、大王家はまた引越し。大阪府南部に移動である。空気がいいのでぜんそくは完
治。平和な日々を過ごす。当時のフットボールとの接点と言えば例によって正月のボウルゲ
ームを大公様がTVで見ている程度。大王は興味なし。水戸黄門を見ていて(違ったかもし
れないが)NFLの画像を使った808とかいう携帯型TVのCMがあったのは憶えている
のであるが。
そんなある日の朝、新聞を見ながら朝食をとる大公様が
公 「ありゃ!勝ったぁや!」
后 「何が?」
公 「京大が勝ってしもうたぁや」
后 「京大ってあの京大かね」
公 「はあ、ず〜っと関学にまけちょったそいいね。」
后 「はあ」
公 「そうか、とうとう勝ってしもうたか。う〜ん。」
その会話だけ憶えている。事の重大さは全く(当然)理解していない大王だった。その数年
後。やはり新聞を見ながら朝食をとる大公様が
公 「みてみい。」
后 「はあ」
公 「京大がとうとう日本一になってしもうたぁや」
后 「京大ってあの京大かね」
公 「はあ、ず〜っと関学に負けちょったそに、とうとう日本一になってしもうたぁや」
后 「ふ〜ん」
その会話だけ憶えている。もちろん事の重大さは全く(当然)理解していない大王だった。
さて時間はさらに進み高校3年生の12月。当然授業に出る奴、でない奴がいる中で、大王
はずっと学校に行っていました。そこで出た話が
A 「昨日のアメフト見たか?」
B 「おお、見た見た。凄かったなあ」
A 「まさか追いつくとは思わんかった」
B 「あれ甲子園でやってんねんなあ」
A 「甲子園BOWLや」
そこで
王 「は〜。甲子園ボウルやったら見に行ったことあんで」
A 「え、まじ。いや昨日凄かったで。」
B 「最後、同点に負いついてん」
・・・・・・・・
高校生活でフットボールの話といえば唯一これだけ。普通はこんなもんでしょうね。
さてそんな呑気な大王にも大学受験が迫ってきました。な〜んにも勉強しなかったので当然
浪人を余儀なくされます。暮れも押し迫ったある日、「コーヒー入れるから一息しいね」と
階下からの声。ホイホイと1階へおりる。すると大公様が寝そべってTVを見ている。
王 「何これ」
公 「ん?お前見にいったぁや」
王 「なんじゃろ」
公 「甲子園ボウルや」
王 「は〜。どことどこがやってんの」
公 「ん?明治と関学や」
王 「どっちがどっち?」
公 「青が関学や。白と黄色が明治や」
KGを受験する予定にしていたので気晴らしに、見てみる事にする。普通TVでやる学生ス
ポーツといえば正月のラグビーしか知らなかった。それは全部東京の大学で関西の大学は出
てこない(同志社ぐらいかな)。関西の学校でTVにでるスポーツがあるんだなあという新
鮮な驚きもあった。しかもお客が一杯入っている。
しかしよくわからん。
王 「ルールがよう分からんね」
公 「な〜に言うてんねん。簡単やこんなもん。端っこまで持っていったらええんや。」
后 「よいよ、わからんそいね」(本当にもう、分からないのよ の意)
公 「なに言うちょるそか。アメリカじゃあな、野球やのうて皆、これやで。」
王 「この下にでる数字は何よ」
公 「ええか、攻撃はな4回攻撃できるんや。」
王 「ふんふん」
公 「4回攻撃するうちに10ヤード進みゃええんや。そしたらまた4回攻撃できるんや」
王 「あかんかったらどうすんの」
公 「あかんかったら、そこから相手の攻撃になるんや。せやけどな、そこから攻撃される
とすぐ点を取られらーや。じゃけい、4回目はこうやって蹴るんや。ほんで止まった
所から相手に攻撃させるんや。」
王 「ふんふん」
公 「この数字はファースト、セカンド、サード言うて、今何回目の攻撃で、あと何ヤード
進めば10ヤードになるか出とるんや」
王 「フォースは?」
公 「フォースもでるけどな、結局さっき言うたように、パントっちゅうて蹴らんといかん
そ。」
王 「蹴らんといかんそか」
公 「うんにゃ、蹴らんでもええよ。普通にやってもええんや。そりゃギャンブルっちゅう
んや。そのかわりそれで失敗したらそこで相手の攻撃になろうが。危ないわあや。じ
ゃけい遠くまで蹴るんじゃ」
王 「なるほど」
公 「見ちょきゃあわかる」
しばし観戦する。
后 「はあ、どこと、どこかね」
公 「関学と明治や。はあ、ずーとな、関東は日大が出ちょったそいね。それが今年は明治
が出たんや。関学もな京大に負けちょったそが、今年は勝って出てきたそ。」
なんとなく分かり出す。明治吉村のロングゲインが飛び出す。
公 「ありゃ、また35番にやられたぁや。もう、はあ分かっちょるそに、なして止めれん
そじゃろうか!」
王 「ああ、一回に10ヤード以上進んでもいいのね」
公 「当たり前や。そんでな、こっちの白い方は走ってばっかりや。こっちの青いほうはパ
スばっかりや。ランでもパスでもええんや。」
王 「ふむ」
公 「そんでな、この12番が下がっちょろうが」
王 「うん」
公 「これがクオーターバックっちゅうんや。こいつはパスばっかりじゃから最初から下が
っとるんや。」
王 「なして」
公 「はあ、前で投げよったら相手に捕まらあや。どっちみちな、投げる時は後ろに下がら
んにゃいかんそ。そやからな最初から下がっとるんや。そしたらすぐ投げれる。これ
をショットガンちゅうんや。」
明治守備に芝川がつかまる。
公 「下がっちょるけ、こうなるそ。余計に進まにゃあいかんようになるそいね。」
王 「なるほど。そのかわり投げやすいわけだ。」
面白くなる。アナウンサーが叫ぶ
「芝川、投げるか!投げるか〜〜!走ったぁ!ドロープレー!!」
王 「あ、走った」
公 「走ってもええんや」
試合は(周知の通り)シーソーゲーム。点がドンドン入るので分かりやすかったせいもある
が、非常に面白い。試合時間がなくなる。KGの勝利かと思ったら、明治がゴール前へ前進
残り時間は殆ど無い。
公 「こりゃいけん!はあ、負けじゃあや!」
王 「なして」
公 「ここから蹴ってボールを入れりゃ逆転じゃ」
王 「え!?」
などと言っているうちに例のシーン。スナップ、ホールド、キック!飛ぶボール!
......中継終了...。
公 「...」
王 「...」
公 「な〜〜〜〜〜〜んや!!へもしらん!!切れ!!もう!!」
怒りのあまり立ち去る大公様。
王 「なんでここで中継切れるかな。う〜ん、どっちが勝ったんやろ。」
翌日、駅の売店のスポーツ紙の見出しに「関学V」の文字を見て「?...はずしたのかぁ
」と理解した。面白かった。試合展開もさることながら、よく憶えているのはアナウンサー
の実況に出てきた選手の名前。
「やりました芝川!」
「またしても堀古!」
「また吉村だぁ!」
「今日は出番が少ない真弓ですが」
という選手の名前。
終始聞こえていた「レッツゴーKG」の演奏と大合唱。そしてブルーのメガホンで埋まった
外野スタンド。もちろんその頃は「こんなにハマル」なんて夢にも思わなかった。
さてその数週間後。お正月である。当然浪人生は勉強であるが.....。「コーヒー入れ
るから一息しいね」と階下からの声。ホイホイと1階へおりる。すると大公様が(この時も
)寝そべってTVを見ている。
王 「何これ?え?甲子園ボウル?」
公 「ん?これはな、ライスボウルっちゅうてな、学生と社会人との試合や」
王 「は〜」
公 「見に行ったぁや」
王 「?甲子園は行ったけどな...」
公 「ありゃ?俺一人で行ったそじゃろうか」
(注)間違いない。東京にいたころ一人で密かに行っていたのは明白である。
王 「どことどこがやってんの」
公 「ん?レナウンと関学や。昔はな、確か正月にやりおったんや。」
王 「元旦に?」
公 「たしかそうや。あの頃は東西オールスターやったはずやがの。それが社会人の優勝と
甲子園で勝った方がやる試合になったそいね。」
しばし観戦。しかし、甲子園であれだけ猛威を振るったKGのショットガンは沈黙。
(注)フットボールは沢山点が入るスポーツだとこの頃思っていた。
かたやレナウンは「レ〜ナウ〜ン、レナウン娘が♪」という応援とともに快調に点を重ねる
。途中で35点も差がつく。こりゃKG負けだ。とうぜん、フラストの溜まった大公様は、
公 「え〜い!!、しょうもない!!切れ!!」
と激怒の上、ご退席。大王一人で見る。すると途中から点が入る事、入る事!!KGショッ
トガン大爆発である。4Q終盤には僅差まで追い上げた。
しばらくして大公様が、登場。
公 「どねなったか」
王 「すごい追い上げやで」
公 「ありゃ!!なしてか!!」(あれ!何故だ!の意)
王 「堀古がスゴイよ」
公 「こりゃ逆転すらぁや」
しかし応援むなしくKGの負け。
すると大公様はやはり
公 「え〜い!!、へも知らん!!」
と激怒の上、再度ご退席。「う〜ん、面白かったなあ。この2試合は面白かった。少なくと
も、今度見るときは理解できそうだ。」と思った。ただし、すぐ受験モードに戻った為、大
学に入るまで全くフットボールの事は忘れていた。
そして大王はKGに進学する事になった。
以 上(発動編につづく)
王国のホームページへ |
Colosseumのページへ |
メイン |
今すぐ登録